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遠くも近い未来に向けて 

お久々です。

俺の地方では色々なことが杞憂で終わり、落ち着きました。

ブログを更新する気も起きず、何をすればいいのかわからずの1週間を過ごしました。


今回の大震災により気付かなかったこと、いや、気付けなかったことに色々めぐりあいました。


そして今も東北地方の方々は不安に駆られながらも1日をやっと過ごしていることでしょう。

もはや心配なんて数万の人がしている最中、俺も心配しているだのがんばれだの

今さらすぎてもはや言っていいのだろうか、そもそもこんな場所でコソリとでいいのか

なんにせよ色々気づくことが多すぎたんです。

命の危機にさらされたりすると思考の変化をかなり引き起こします。


いつになってもこのことを忘れないために

遠いようで近い未来の俺に向けるエール、いや、戒めだろうか

そんなどうでもいいようなことのために今ここに気付いたことを書いておく。


どうでもいいガキの提言だと思いますが

お付き合いなさってくれる方はぜひ読んでみてください。


さて

色々気づいたことは多すぎる。

長くなりすぎそうなので簡潔に記そうと思う。




まず第一に・・・

自分が本当に60億分の1と思ってしまったこと。

これはどういうことかというと

よくある言葉を用いると「世界は自分を中心に回っている」というものが

本当にとんでもない勘違いな言葉なんだろうと思ってしまったことです。

今の俺は俺です。

俺からみたら俺の世界です。

俺から見たら他はみんな他なんですよ。

かなり自己中心な考えだったけど心のどこかで実はそうなんじゃないかと

そう思っていましたし、そう考えている方も絶対少なくないと思います。

しかし、脆い。

もし俺が中心に回ってたらこんな簡単に死ねるわけがない。

災害で簡単に死ねる。

しかも今も簡単に死ねる、爪で脈をひとかきすれば死ぬ。

こんな俺が主人公?

客観という言葉が胸に突き刺さる。

もし俺が主人公ならこんな平凡な1日を終えるはずがない。

怯えるだけの生活をするだけがない。

自分の性格や精神的にもとても責任を負える人間ではない。


ようするに一般人。俺は人間。




次に・・・

神は各々の心に宿るものであるとしみじみ思いました。

大地震を経験し、何をしても自然には逆らえない。

では何に身の安全を願えばいい・・・?

その時自分の中に神が宿っていることに気付きます。

「神様、仏様、どうか私を助けてください。」

普段は神や仏を信じないお方でも思った方はいるはず。

人には心に宿る神がいるだけでなぜか安心をすると思います。


宗教の存在意義を知りました。

ようするに心に宿る神を明確に定義したい方たちの集まりなのだろうと。

世の中には色々な宗教があります。

大ざっぱに言えば 仏教、キリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教・・・

多々あると思いますが全体的にはこの4つでしょう。

中でも仏教は不思議だと俺は思います。

仏が無限の数存在するからです。

藤原道長が法成寺を建設し、阿弥陀堂を設け9体の阿弥陀を祀ったのはなぜか?

死後を恐れたからです。

考えてみてくださいよ、とても仏教を愛する方にはお目よごしな発言で

とても申し訳ないんですけども

無機物から神を作り、祈れば極楽浄土にいける、と

どう考えても気休めですよ。

そう、それは俺の客観的視線で見るからそう言えるんです。

必死の思いで祀った本人が見れば絶対神ですよね

私の中にはこのお方こそ神、このお方に祈れば恐怖を祓ってくれる・・・


神とは各々に宿り、各々と共に消滅するのでしょう・・・


仮にキリスト教に入信したとしましょう。

しかし、本物のイエス=キリストを見れますか?見れません。

それぞれのイエス=キリストが心に宿るんですよ

その人が滅すれば、その人だけのイエス=キリストも滅するんです。

神は人の数だけいるのでしょう。いや、人だけじゃないのかもしれませんね・・・



・・・俺にとっての絶対神・・・なんだろう・・・




次に・・・

偽善と善はイコールだということです。

この件に関しては色々な人がお考えになられたかと。

募金なんて偽善だ・・・そう言って募金をしなかったり

偽善でもいい!俺は募金するぜ! と言い巨額を投資する人・・・


どっちも同じですよ。みんな自分のためにやってると思うんです。


表立った善意をどうしても許せない人ってのは・・・

優しさという概念の食い違いがあるのだろうな、と思います。

それか完全に吹っ切れてしまい、善意というものを喪失した人、か・・・。


一般的にこの世の中での優しさと呼ばれるものは

人のために為し、自分を優先しないこと という感じだと思います。

万人も気づいてることだし、俺も何度も書いてるけども

優しくするのも自分の為であり、善意も最終的に自己満足なのでは、と思います。

それか今回の件では嫌悪されるのを避けるための善意もあると思います。


まぁなんにせよ最終的に自分のためなんですよ

優しくすることが使命と感じる方もいると思いますし

人が救われる顔をみて嬉しい方もいます


まぁなんつーか・・・

偽善者しねとか募金しないやつは屑とか

そういう言葉よく目にするんですが

どうせ「どの手法で自分に得をさせるのか」ということになるんですよ

要するに「価値観」の違いをぶつけ合いという無駄な行為。

たどり着く先は同じなのにぶつけ合っています。

無駄にストレスたまりませんか?

しかしこんなことを言っても終わるはずがありませんね。


人間ってのは誰かを愛し、誰かを嫌います。

自分の好きな方向にいかないと嫌ですもんね。



どうでもいいんだけど俺は募金しました。


それが俺の自己満足に帰結する、と思ったんでね・・・。




長々と語るのはここまでにしておこう・・・なんというか俺がどんなに自分勝手って知ってるけど


友達が無事だったことに俺はすげー嬉しかった。


もちろん俺の為であるけど、それでもよかった。

あいつが大事なんだ、とかすぐわかってしまった。

あの子が好きなんだ、とかすぐわかってしまった。

あいつと生涯頑張って行きたいとか思えた

どうせ自分の為に思っていることでも

それでも誰かが大事ですよね

誰かに触れることがとても温かいことであって

誰かと話せることがとても楽しい

だからこそずっと大事にしていきたい


はぁ、何を考えているのやらか。


人それぞれが何を考えているのかなんてわかりゃしないし

ほんとうに俺のことが目に映っているのかわからないとか

疑心暗鬼に陥ってしまいそうになることもある。


でも俺が大事なんだからこれからも勝手に触れ合って行きたい

死ぬまで触れ合っていたい仲間とかそういうのがいるんだなぁと

はい、なんかもうテンプレっぽい文章だしもう厨くさくてもいいです


いいんですよ、本音なんですから、なんも恥ずかしくないです。




大震災・・・

まだ苦しんでいる人もいます・・・

そして・・・命を失ってしまった人もいる・・・



しかし、生き残った人には何かを教えたものだと思います。


俺もまた1歩人生のコマを進めた感じがしました。

まぁなんにせよ・・・


被災者の方々の復帰を心からお祈りしています。


これも自己満足な祈り・・・なんだろうけど、それでも構わない。



まぁ・・・

次回から普通の記事に戻れるかな・・・


何事もなかったかのように・・・

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コメント

自運・・・?

ぬっふっふ、
善がもし嬉しくない物になったらこの世界はぐちゃぐちゃになりまする。たたた多分…

しかし…なんて声をかければよいか…
とにかく無事でよかった

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